ウイングキットコレクション VS9
エフトイズ

1. 二式戦闘機 鍾馗 II型丙


鍾馗は新金型で、胴体パーツがウイングキットコレクション2
(モデルはII型甲)の時より少し太くなっています。
私はWKC2のアンバランスな胴体ラインも嫌いではなかったのですが、
今回の方が実機には近いのかな?
主翼のパネルライン表現はWKC2よりも正確になっているようです。


1-A. 飛行第70戦隊 第2中隊 小川誠 少尉 乗機
昭和20年 6月 千葉県 柏飛行場


本土防空戦でB-29×5機、P-51×2機を撃墜して
飛行第70戦隊のトップ・エースとなった小川少尉の機体。

胴体横には機番号の「2」と、鷲を形どった撃墜マークが描かれています。
また、垂直尾翼の部隊マーク(”70”を図案化したものだそうです。)は、
第3中隊を示す黄色であったとの説も有るようです。

他に、飛行第47戦隊 第3中隊 87号機のデカールも付属しています。



1-B. 常陸教導飛行師団 第1飛行隊長 広瀬吉雄 少佐 乗機
昭和19年11月 茨城県 水戸飛行場


胴体に描かれた飛行隊長乗機を示す赤の稲妻がド派手な機体で、
これほどの大胆なマーキングは他の鍾馗には見られないそうです。
稲妻のラインが波打っているのは実機も同じで、
実戦の合間に慌しく描かれたのだろうとのこと。

モデルに付属する垂直尾翼の部隊マークは、
何故か明野教導飛行師団のものになっていた為、
ウイングキットコレクション5の疾風に付属したデカール
(八咫鏡の中の文字が ちゃんと”常”になっている。)
を流用してみました。

常陸教導飛行師団は、明野飛行学校 水戸分校を母体に
昭和19年 6月20日付けで誕生し、関東地区の防空を兼務したそうです。

広瀬少佐は昭和19年12月に明野教導飛行師団に転属しており、
そこでも鍾馗に搭乗しているようですので、
モデル付属のデカールで そのまま作っても良いかもしれませんね。

他に、飛行第23戦隊 第2中隊 所属機のデカールが付属しています。



1-C. 明野教導飛行師団 第1教導飛行隊


こちらは濃緑色のマダラ/蛇行迷彩が施された機体。

明野教導飛行師団は、明野飛行学校が昭和19年 6月20日付けで
改編されて軍隊に昇格した部隊です。
戦況の悪化により、教育任務と併行して本土防空も兼任したそうです。

部隊マークは、赤い八咫鏡の中に白の”明”の文字と
両側に赤い翼が描かれています。

他に、明野陸軍飛行学校 所属機のデカールが付属しています。



1-D. 飛行第70戦隊 第2中隊 吉田好雄 大尉 乗機
昭和20年 6月 千葉県 柏飛行場


B-29の派手な撃墜マークで人気の有る機体。
本土防空戦で用いられた機体ですが、胴体の白帯が無いことも特徴です。

吉田大尉は第3戦隊長なので尾翼の戦隊マークは黄色との説もあるようで、
ハセガワのキットでは1/32でも1/48でも黄色になっているようです。
ただ、実機写真では かなり濃く見えるため、
エフトイズは赤と解釈したのかもしれませんね。

他に、明野教導飛行師団 所属機のデカールが付属しています。



1-E. 大刀洗 陸軍飛行学校 九州 隈の圧飛行場


上面緑に塗装剥がれのウェザリングが施されたモデル。
食玩では ここまでのハゲチョロは珍しいのですが、
鍾馗には似合っていてカッコ良いです。

大刀洗 陸軍飛行学校は昭和15年 9月に開校し、
少年航空兵の操縦教育などを担当したそうです。

胴体後部に黄帯が巻かれ、方向舵には大刀洗を示す
「大」の白フチ付き黒文字が描かれた機体。
この機は昭和19年11月に撮影された、
上面の濃緑色迷彩が ほとんど剥離&
主車輪タイヤがパンクした姿の写真が残されています。
(さすがに そんな 寂しい姿に作る気には ならなかった!)



1-E. 飛行第9戦隊 第1中隊 満州


飛行第9戦隊は昭和18年 5月に鍾馗に機種改変され、
同年 9月から終戦まで中国大陸の防空に従事した部隊です。
垂直尾翼の部隊マークは、
加藤清正の片鎌槍を図案化したものであると同時に、
難波戦隊長の頭文字の「ナ」に ちなんだものだそうです。


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